life is crazy だけどamazing

だから楽しいんじゃない?

理想の国を探して~舞台『アナザーカントリー』

気が付けば梅雨も明けまして、ついにサマパラまで迫ってきてまた楽しい夏の訪れに期待する日々ですね。
お久しぶりです。

先日大千秋楽を迎えた舞台『アナザーカントリー』の感想ブログです。
another-country.com


まずは3都市全23公演完走おめでとうございます!
ショービジネスが制限を受けるようになって二年、比較的状況も落ち着いてきたというか、「新しい日常」にシフトしつつあるおかげであまり悲観はしていなかったのですが、頭の片隅では観劇のたびに「これが最後になるかもな」なんて覚悟もしましたし、特に大阪前あたりから雲行きが怪しかったので最後の1週間ほどはとにかく祈るしかない、と思っていました。ただのオタクですらこんなだったので演者の皆さんはじめ関係者の方々はもっとだったんだろうと思うと、とにかく最後まで無事に終われたことがとてもうれしいです。


さて、内容に関する感想を少し
のはずだったんですけどまた死ぬほど長い

「Another Country」は1981年初演の舞台でありそれを原作とした映画の公開が1984年、日本ではまさに「隠れた名作」といわれる類でしょうか。U-next等一部の配信サービスやTSUTAYAなどで借りることもできるので原作を知りたい方はぜひ。

・背景1‐30年代のイギリスとパブリックスクール

物語の舞台は1930年代イングランドの全寮制のパブリックスクール。モデルとなったのは名門イートン校らしい。パブリックスクールに通う家庭は現代でも全体の6-7%にとどまっており、一部には英国に階級社会が根強く残る一因とされて批判されることも。とはいえ舞台である30年代とは世界恐慌の只中、社会主義の波や第二次大戦への情勢の流れと世界が大きく揺らいでいた時代です。(世界史リタイア勢の限界)戦勝国であるイギリスは多くの領土と植民地を持つ大国であり、支配階級の家に生まれれば当たり前に『プレップスクールからパブリックスクール、1回生から6回生…』という流れになります。

パブリックスクールとは当初、教会をもとにした教育という点に重きが置かれていましたが、次第に「大学受験予備校」として価値が置かれるようになり、卒業生の大多数がオクスフォードかケンブリッジに進学していきました。過酷な入学試験を経て閉鎖的な空間にだいたい5年、環境は厳格で、座学とスポーツを中心とした授業と規律に縛られた寄宿生活を行う。多く個を抑制し集団としての生活が求められ、それを通して規律の重要性を学び、社会的に高い立場に立つ者を育てる。『規則をうまく乗りこなせるなら、乗りこなせばいい、それができないなら、用心した方がいい』というデラヘイの言葉は非常に的を得ていて、規則に付き従い我を殺すことのできる生徒にとっては非常に楽に卒業できるわけです。

・背景2‐30年代のソ連共産主義

鈴木大河くん演じるジャッドが傾倒していた共産主義。世界史リタイア勢のド理系なのでかすかな記憶を引っ張り出していたのですが、ロシア革命レーニンが台頭したのが1917年、スターリンマルクスレーニン主義を提唱したのが1924年だそうです。(だそうです)みなさんご存じの通りマルクスの目指す社会は実際我々にはレベルが高すぎました。ソ連の実態は強い言論統制や強制労働などとても理想的とは言えないものでしたが、当時国外にそのような負の状況はほとんど伝えられなかったといいます。ジャッドが読んでいたマルクスの「資本論」、大変有名な経済書ですが途方もなく長くて、日本語翻訳版だと500ページ前後の新書6冊セットで売られていました。読んでやろうと思って本屋に行って怖気づいて辞めました。
名著105「資本論」:100分 de 名著
ジャッドはその後スペイン内戦でフランコ側の義勇軍に参加して22歳で命を落とします。
スペイン内戦/スペイン戦争

・「いまを生きる」と「アナザーカントリー」

鈴木大河くんのオタクとしては何だかんだ「いまを生きる」のことを思い出さずにはいられませんでした。とはいえ私は2018年の日本初演版しか見たことがないのですが。一つにはその2018年度版に今回サンダーソン役で出演されていた浦上晟周さんがミークス役として出演されていたこともあるのかも。「いま生き」よろしく少年たちはこの学校という閉鎖的で抑圧された世界で各々の処世術を見つけて生きている。異端は結局排除されるし、その存在が後進に影響することはほとんどない。マーティノーの死も『大事にされたら困る』メンジースのような人間によって闇に葬り去られるのだろうし、ベネットにトゥウェンティートゥーとしての特権は与えられませんでした。
演出的な面でも、比較的あっさりとした舞台上のつくりが似ていたのが印象的でした。

細々としたことの中には何度見ても難しかったことはあったけれど、それぞれのキャラクターが今までどう生きてきて、これからどう生きていくのかを考えるのは楽しい見方だったかな、と思います。

・ベネットの絶望

『平等や友愛と言うが愛には一級品と二級品があると思っている』というベネットの言葉、少し被害妄想がすぎるようにも思えます。しかし今でこそ同性愛やLGBTQ+は認知され受け入れられていますが、当時は法的弾圧まで受けていたようで、1935年にはイギリス全土で840人もの男性が告訴されています。
ベネットの自覚は同時に自分が「罪」を犯していると言う自覚にもつながっていたのだと思います。実際それを助長したのはマーティノーの死であり、またデヴェニッシュの両親がその事件をきっかけにデヴェニッシュを辞めさせようとしたことです。マーティノーが死という結末を選んだことへのショックもさることながら、親という「大人」が「大変好ましくない」と評価したことは閉鎖的な環境にいるベネットにとってあまりにも大きかったのでは、と考えています。

ベネットは学校で成績は1番、いつも1人でいるルームメイトのジャッドと違って顔は広いし世渡り上手で監督生もトゥエンティートゥー入りもほぼ確実、好き放題しながら成果を納めるまさに英国の統治者として支配階級として生きていくに相応しい学生でした。
学校が世界の全てとなる環境で突然「自分は異質である」と突きつけられたわけですが、それでもファウラーに見つかるまでは動揺も見せずに上手く立ち回るのがベネットの頭の良いところです。
しかし1人で学校や国の体制に楯突くことはもちろんできず、ベネットはその後ケンブリッジ大学を卒業し外交官となったのちソ連のスパイとなります。

表情豊かで生き生きとした表情から監督生たちと対峙するジリジリとした雰囲気、そして絶望に打ちひしがれた表情まですべての表情がはっきりとしていて、和田くんの演技がとても素敵で今でも鮮やかに思い出します。

・ジャッドと「諦念」

ジャッドを見ていて浮かんだ言葉は「諦念」でした。ハーコートや人生に希望を抱いて生活するベネットとは対称的に「学校はいつも邪魔ばかりする」「もう少しの辛抱だ」と学校を卒業して奨学金を得るまでの辛抱をしているジャッド。冒頭からとめどなく会話が流れていきますがすべてが日常のことで、そのすべてに流れ作業的な諦めの色が見えた気がしました。ですが革命について話すジャッドだけは強い目つきをしていて、そこに彼の信念の強さを感じました。
自分を「学校の冗談みたいなもん」と認めるジャッドは昔から自分が「他とは少し違う」ことを自覚していて、初めて「異端」になってしまったベネットの隣に触れるでもなくただ座るジャッドに、ジャッドはこれからベネットに寄り添って寄り添われていくんだな、そうなってたらいいな、と願っています。

同級生たちに比べて大人っぽいジャッドですが所々で17歳ぽさがあったのが印象的ですが、一方でしっかりと少年らしさがあったのは監督生たちに対して言い返せなかったり、すぐにカッとなってしまうところがあったりしたところでした。基本しかめっ面のジャッドに鈴木大河くんのオタクとしては(わ、、、笑って、、、)と寂しくなったりもしましたが決して無表情なわけではなく、ベネットといれば少し自信家で安堵した表情、ウォートンに対しては頼もしい先輩、監督生たちに対しては反抗的でありながら己の無力さにイラついた表情など、いつもながら大河くんの表情の演技は分かりやすいのに緻密で好きだなあと思いました。
オレたち応援屋‼の飯塚洸太くんの表情も好きだった

・ジャッドとベネット

学年一位と二位、奔放で世渡り上手なベネットといつでも信念を曲げないジャッド、どこまでも対比が美しい二人でした。誰とでも仲よい一方で実は誰にも本音を打ち明けることができずにつかみどころのないベネットが自分のことを打ち明けられる相手がジャッドであって、それはジャッドが決して自分の信念を曲げることがないからです。ジャッドにとってベネットは放っておけない、自分が彼をむち打ちになる前に止めてやらなきゃいけないという一種の責任を負っているようでした。「他人のために何かをするとき、それはいつも決まって自分のためなんだ」というカーニンガム氏の言葉はその通りで、誰にも思想を本気で聞き入れてもらえない、冗談扱いされているジャッドにとってベネットの世話を焼くことは唯一学校というコミュニティーに居続けられるもの、アイデンティティの一つだったと思います。
革命を起こすような取るに足らない人間には努力してもなれなくて、多分そういう人間になることができるのはジャッドではなくベネットでした。奔放にしつつ上手く学校という社会を渡っていくベネットにジャッドは憧れがあったと思いますし、自分が「周りと違う」同性愛者であるということを自覚したとき、自分が異質であることを受け入れ生きるジャッドの姿勢はベネットを支えたはずです。二人の関係性は美しくて、素敵なものだと思いました。

・事なかれ主義の監督生たち

「偽善者!」というセリフが何度か出てきて、デラヘイやメンジースに対しての批判の言葉がそれしか浮かんでいないところがあって、そこで中学の頃に学校の講演会で聞いた「偽善でいいじゃないか」という言葉を思い出していました。正義がすべてだと思っていた私にとってこの言葉は大きく響いています。
メンジースは事なかれ主義そのもので、偽善を偽善と疑わずに働く人です。きっと彼にも彼なりの良心の呵責を感じていないわけではないと思いますが、寮長になりトゥウェンティートゥーのメンバーとして卒業して出世して…という道に執着するあまりその友情まで利用しようとしてしまいます。メンジースの危ういところがそこで、言えば彼もまたただの17歳でした。
メンジースが目指した現寮長のバークレイは偽善と事なかれ主義でこのままサクセスロード!のはずがそれを絶たれてしまったところで、その限界と危うさを実感したのがこのマーティノーの事件という衝撃的な事実になって表れてしまいました。

・思春期というのは実に厄介だ

「~精神の混乱は肉体の混乱をも…」から始まる長い長いカーニンガム氏の語りについて触れて締めに入りたいと思います。
カーニンガム氏は第一次大戦で徴兵を拒否した良心的徴兵忌避者であり作家です。彼の意見ではすべての行動の原理は直感にすぎず、それ以上の定義はできないとしている。正しいといわれることを疑い、己の良心の基に立つ直感にのみ従うべきだと主張する。彼の長い語りについては内容すべてというよりはその言い回しやベネット、ジャッド、メンジース、デヴェニッシュがぐるぐると部屋を歩き回る演出からは己のすすぬべき道に今まさに悩み混乱している少年たちの心情が表されているのではないかと勝手に考えています。徴兵を拒否したという点で彼もまた異端であって、異端の大人の存在がベネットの自覚を進めたのは言うまでもないでしょう。

・最後に‐21世紀日本でのアナザーカントリー

日本にかかわらず、社会にはいろいろな思想や生き方があるし、往々にしてそれらは認められるべきものです。ジャッド、ベネット、メンジースとバークレイにカーニンガム氏、それだけでなくまさに体制に支配され自分を失おうとしているウォートン、正義感と自信に満ちてしまうがあまり軍国主義に生きるファウラー、まさに「規則を乗りこなす」世渡り器用なデラヘイ、親や友人の操り人形とかして葛藤するデヴェニッシュ、そして付和雷同を貫くサンダーソン。すべてが彼らが学校で生きていくために見つけ出した道であり、それは賢い方法もあれば無理があるものもある。誰もが自分だけの「アナザーカントリー」を求めていて、同級生(一部にとってはその先輩や後輩)の死というたったの20年も生きていない少年たちにはあまりに衝撃的すぎる事件を通してその世界同士がぶつかいあってしまう。その時誰もが自分の世界を「疑うことを許さない」17歳の危うさが泥臭く目も当てられないのに美しい、と感じた作品でした。
残念なことに日本はまだまだLGBTQ+に対する理解は欧米に比べても不足していますし、赤信号みんなで渡れば怖くない的な協調性を病的なまでに重視する社会です。90年が経ってもあまり状況は変わっていません。偏見と先入観の恐ろしさ、そして問題意識を植え付けられたように思います。
公演が始まった6月はプライド月間でした。偶然だとしてもなんだか興味深いと思いながら、この作品を通してまた私自身も意識を新たにできたら、と思っています。


参考文献
いまを生きる - Wikipedia
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国際義勇軍
Public School
パブリック・スクールとは - コトバンク
https://www.obirin.ac.jp/la/ico/con-sotsuron/sotsuron2010/2010M-ko