ただ幸せを祈っていたい。
今回も安定の遅刻記事です。すみません。
正直、私が今日この話題を出していいものか、このブログを書いてしまっていいのか、とても悩みました。
ABC座を期にTravis Japanと出会った私にとってこの1年間、1番のコンプレックスは5トラのことしか知らないことでした。
1年前の今日、情報局に入るほどの熱量で応援していたわけではなかった私は家でそれとなくレポを漁っているうちに、松田元太くんと松倉海斗くんがTravis Japanに加入することを知りました。
松松に関しての知識はほとんどゼロで、ビジュアルも2015年くらいのマシュマロちゃんたちで止まっていたので、松松ってトラジャよりすごく子供なイメージがあって、私がトラジャ担としての経験値が少なすぎることもあり、嬉しい嬉しくない云々以前に理解が追いつかず、「加入したらしい」で記憶は止まっていました。
TravisJapanに松松が加入する、と発表があった翌日、私は少年収の番協にえび担として1人で乗り込んでいました。
この日収録があった12月分は新生TravisJapan(便宜上こう呼ぶことにします)お披露目回だったのですが、オープニングメドレーにいたのは5人だけで、夢ハリには番協がつかなかったこともあって私がそのことを知ったのは放送日でした。なにやってるんだ自分。
唐突ですが、このときの河合くんの曲振りが大好きです。
「僕も大好きな一曲です。夢のHollywood。」
5人のTravis Japanしか知らない、松松のことはもっと知らない私がファンを名乗って良いのか、好きだと言って許されるのか、そんなことばかり考えていた私の背中をこの曲振りが押してくれました。
そしてかくかくしかじか…Jr.祭りが発表された日に晴れてJr.情報局に入り、1人でチケットを申し込み1人でJr.祭りへと足を運びました。
長くなりそうなのでこの辺のくだりは全て記事にしているので割愛します。
Jr.祭りを終えて、私にはそこそこの安堵感がありつつ、新生Travis Japanに対する不安と自分自身に対する不安は消えませんでした。
普段あまり新規古参問題に熱心な方ではなかった私ですが、デビュー組しか追ってこなかった私にとってジャニーズJr.のファンをすることは全く別物で、不安定な存在を長く応援できているファンだけではなくて、途中まで担当がいなくなることもあり得るわけで、その辺の覚悟は私には全くなく、戸惑ってばかりでした。
デビュー組という、(ほぼ)完成されたメンバーで活動し、特別な場合を除いては解散することも活動が終わることもない(と当時は思えていた)環境でファンをすることとの違いは大きく、「知らない」という事実が私を強く締め付けていました。
そんな不安を完全に取り除いて私に覚悟を決めさせてくれたのが今年の夏のサマパラでした。サマパラも別で記事があるのでそちらをどうぞ。
サマパラで新生TravisJapanの完成を見たような気がしました。
そしてそこから2ヶ月、去年は松松と5トラで別々の舞台に出演していた彼らが、今年はしめちかんちゅと4トラで別々の場所で輝いているのを見て、漸く5+2の答でしかなかった"7人のTravisJapan"は私の中できちんと1つの立派なグループになりました。
1月からまた3人4人で活動が分かれてしまいそうなことにも、おめでとうと言いたい反面全員でステージに立つ姿が見たいと少し残念に思っている自分がいることがとても嬉しいです。
松松とTravisJapan、それぞれにとても長い歴史と膨大な経験を持っているからこそ、この1年間は双方に想像し得ない苦労があったんだろうなと私には推測することしかできないけれど思っています。そんなお互いの歴史と経験を出し合い、吸収していったのが1年間の役割だったようにも感じます。
SHOCK経験者とPLAYZONE経験者がいるグループなんてそうそうない。ジャニーズが世界に誇る最高峰のステージを経験してきた彼らだからこそできるパフォーマンスがある。今後は新生TravisJapanの時代だと思います。過去の擦り合わせが済んだ7人は強い。かつて初代ジャニーズが目指したアメリカ。エンターテインメントの街Hollywoodの名が入ったオリジナル曲を武器に、世界に羽ばたいてほしいと思っています。
昔の方が良かったとか、松松担には分からないとか5トラ担には分からないとか、いろいろ思っている人はたくさんいると思います。私だってもっともっと前からTravisJapanのファンだったら全てを素直に受け止めることなんてきっとできていないと思うし、まだたったの1年しかたっていない。
しかし、彼らを観ていた時間があまりに短い私にはこれしか言うことができない。
TravisJapanに幸せがありますように。